東京から車で走ること1時間。檜原(ひのはら)村に引っ越した清田直博(きよた・なおひろ)さんの話をしよう。最初に断っておくけど、これはIターンとか、スローライフとはまた違った話だ。
「もともと、シティボーイだったからね(笑)」という言葉どおり、筋金入りの都会の男。九州から二十歳の時に上京、大学に入って就職するも美大の大学院に入り直す。その間も原宿のカフェギャラリーを運営して、その縁で誘われた会社で編集の仕事を始めた。青山の国連大学前で行われるファーマーズマーケットやフリーペーパーの編集などを手がけ、広告の仕事も軌道に乗ってきていた。一転、村への引越しを考え始めたきっかけは、3.11だった。
「地震のあと、1週間くらい都市機能がストップしたよね。コンビニにパンがないとか、水が飲めないとか。その時、都市の生活って弱いんだなって気づいた。何かに依存した生活を怖いなと思うようになったね。」
都心から1時間程度で行ける50キロ圏内で、「いい感じの田舎」を探し始めた。見つけたのが檜原村だった。
「生きるのに必要なものをつきつめて考えると、水と、空気と、食いもん、それだけなんだよね。それが全部揃っていた。何よりも川の水がきれいだった。」
現在は、村に畑つきの家を買って家族と暮らしている。自給自足の足しになればと始めた畑仕事で、畑の土をよくするために植えた麦が意外な展開を呼んだ。
「耕作放棄地だった畑を動かし始めるのに麦がいいと教わって。根が深いから土を耕してくれるらしいんだよね。夏前に収穫しようとしたあたりでプラスティックストローによる海洋汚染問題の話をよく耳にするようになって。ストローって、そもそも麦わらのことだよな、それならできるかもしれない、とストローを作ることを思いついて。」
村の若者や仲間に声をかけて麦わらストローを作り始めた。収穫してきた麦を乾燥させて、脱穀する。そのあと節が入らないようにカットして、洗浄するとストローになる。
デザインは東京のシェアオフィスで知り合ったデザイナーにお願いした。かくして麦わらストローが誕生した。現在その問い合わせや発注、発送などに追われる日々だ。
麦わらストローは、ばかみたいに儲かるものではない。作るのに案外手間がかかるのだ。それでも作る理由を尋ねると、少なくとも普通に農作物として売るよりはいいし、と清田さんは言う。
「それに、単純におもしろいなぁって思って。存在もかわいいし。農家としてふつうのことやってもつまらないし、楽しいことをやってみたいなって。」
村で暮らすようになって、仕事に対する考え方も変わったみたいだ。清田さんが「都会の仕事」と呼ぶものを、「村の仕事」に変え始めている。
「ワイフに『都会の仕事、もう少し増やせるけど、どうする?』と聞いたら、『お金のためだけに仕事しないで』って言われたんだよね。僕のこれまでの仕事って、お願いされてやるものだったけれど、麦わらストローみたいに誰にもたのまれてない仕事や、友達とやる仕事、家の修理や畑のような仕事を増やしていかないといけないんだと気づいた。いつ切られるかわからない誰かに依存した仕事より、自分にとっても環境にとっても無理のない仕事をしていなかなきゃと思って。」
もう都会は飽きちゃったんですか、と聞くとこんな答えが返ってきた。
「鮭や鮎のような川魚に人間は似ているんじゃないかと思う。川、つまり田舎で生まれて、若い時は都会でわいわいやってパートナーを見つけて、また田舎に戻って子供を生んで。そう考えたら、ずっと海にいる必要はないなってね。」
清田直博
住所:東京都西多摩郡檜原村
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