パリの小さなアパートにマチルドが入って来ると、春がきたように部屋の中が明るくなった。好奇心に潤んだ青い目が驚いたように輝いている。ハグとキスでフランス式の挨拶をすませると、エコバッグの中からドン、とワインボトルを取り出した。「はい、今日のギフト!」。
マチルドの仕事場は美術館だ。ポンピドゥ・センターをはじめ、名だたる美術館でイベントを企画してきた。
「美術館ってエリートのもの、っていうイメージがあるじゃない?でも私のイベントは若いミュージシャンを呼んだりお酒を出したりして、アーティストもオーディエンスもいっしょくたになって楽しむスタイルなの。3000人ものアートのことを全く知らない人が美術館に押し寄せる光景は見モノよ。ステージの上を歩いちゃったり、作品を触っちゃたりするんだから最高よ。」
次に向かったのがワインだ。マチルドの家族はワインの名産地バーガンディのワインメーカー。彼らが詩のようにワインを語るのに魅せられたけれど、ワインもまた、”エリートの聖域”だった。
「ワインについて女性同士で話してみてわかったの。ディナーに行くと、男性が当然のようにワインを選ぶでしょ?それでひと口飲んだ後、必ずうんちくを傾けるわけ。「うーん、スミレの香りがするね」とか。女性はまぁ黙って聞くわけだけど、そんなの"bull shit"なのよ。ワインにルールなんてない。私はこれが好き!と自由にいうことができればいいのに、って」
そこで考えたのがワインと音楽のペアリングだ。料理に合うワインを選ぶように、音楽に合うワインを選び楽しむイベントを始めた。ワインメーカーを訪ね歩いてた道中や、ワインメーカーの人生の話、感性を使って彼女自身が感じたワインの印象をイベントで話す。それは、型にはまったうんちくではなく、彼女が感じたワインの物語だ。
「日本のアーティストとコラボレーションしたことも話さなきゃ」。
寺山修司に見出されたことでも知られるジャズシンガー、浅川マキの音楽とワインをペアリングしたイベントのことを話してくれる。
「空っぽのコンサートホールで、みんなで床に座って浅川マキについてのドキュメンタリーを見たの。なかには髪を真っ赤に染めたパンク少女もいたかな。その後で、私がペアリングしたワインをその曲を聞きながら飲んでいった。だんだんみんな酔っ払っちゃって、爆音で音楽をかけて、ワインを心ゆくまで自由に楽しんだの。予算なんてないイベントだから、チケットを持ってるかどうかのチェックすらしなかったけど本当にいい夜だったな」。
「キュレーターであるために、必要なのは世界を見ることだと思うの。」
ひとしきりイベントの話を終えると、マチルドは切り出した。フルタイムで美術館で働くのを辞めることを考え始めたという。
「自分にエネルギーをくれることに向かっていきたいの。私が主催するワインのイベントがきっかけでワイナリーに行ってみた人もいれば、友達ができた人もいる。ある時は恋が芽生えたり。私はそういうエネルギーにもう夢中なのよ。それに、美術館で徹夜するのがキュレーターの仕事だとも思わないしね。」
取材の翌日、持って来てくれたワインをあけてみる。マチルドの言葉を思い出しながら味わってみると、型通りのワインを表す言葉が頭から追い出されて、印象が鮮やかになっていくのがわかるようだった。
現在マチルドは完全に美術館をやめ、独立したワインのキュレーターとして活躍している。
Mathilde Jomain
住所:mathilde.jomain@gmail.com